不安に思うこと
最近のK太、プラレールやトミカなど乗り物ブームが真っ盛り
チャンバラごっこやおいかけっこもできるようになりました
私が腹痛のときなどはなでなでしてくれるなど思いやりの心も芽生えてきた様子です
ただいけないことをして叱られたとき、ごめんなさいは?といっても仏頂面のまま頭を下げない場面が増え、
自我が出てきたからと思いつつここでちゃんとしないとダメな人間になるという焦りがかなりあります
言葉は相変わらず出ません
あたらしいことばがひとつ増えると今まで言えたことをひとついわなくなります
集団の中にあっても基本的に一人遊びばかり
のんびり屋さんだろうと割り切ってきましたが
第二子が安定期に入ったことで
「やはり発達に問題があるのでは」と不安になってきました
仮にK太が障害児で、二人目が健常児だったら
下の子に多大な負担をかけることになります
どうしても手の掛かる方に気を取られ愛情を感じられず育って歪むなどよく聞く話ですし
私たちは今のところK太をいずれ施設で面倒見てもらうだけの経済的余裕はなく、経済情勢からも夫婦の奨学金完済まであと15年あることからも将来的に充分貯蓄できる見通しもありません
それでもひとりだけならなんとか私も働けるでしょうが
30才での出産(しかも婦人科疾患罹患歴あり)になる下の子が健常児ともまた、限りません
稚内には障害児向けのデイサービスがあり
療育手帳の交付を受ければ送迎つきで利用できます
もし必要なら適切な療育を受けることがK太のためになりますし
日中は下の子とふたりきりで向き合えるなら隔てなく愛情もって関わることができると思います
「子供は二人が上限。今後は確実に避妊しましょう。協力してくれなければ卵管しばります」といった私にオットは「現実的に考えて、三人は育てられないね」と同意してくれました
お金のことは、がむしゃらに働くしかないし、それでも無理なら親に頭をさげて同居してもらう(家賃が浮く)、それでも無理なら公的扶助のお世話になるしかありません(そのためにも払えるうちはちゃんと税金収めるのが義務なのですから)
でも、極論をいえば「なんとかなる」のです
心配なのが子供たちの将来です
私自身が出来が悪く、結婚するまで姉たちから「あの子の世話しないとならなくなるのかね」といわれていました
親には子供に対する責任がありますが、きょうだいはお互いを選べません
ある程度やむを得ない部分があるとしても、どちらかが負担を抱え込んだり愛情に飢えることになるのだけは避けなければと思います
K太の心の発達について、白黒つける時期はいつなのか
本当に悩みます
早すぎても判断出来ないし
遅すぎても多くの可能性を失わせてしまう
オットのように「男の子なんだし手帳をもつだけで就職も結婚もさわりがでる、間違いなくそうと決まらない限り診断を受けるな」という考えを、差別や偏見以前に「現実」と考える人が多いことも、わかります
私は以前の職場で、障害があっても能力を発揮して得意分野で活躍し、イベントや旅行も楽しむなど活き活き暮らすひとびとに出会いました
でもまだすべてのひとがそのように生活している社会ではありません
反面、社会の中にあってハンディや特性を公言する人がもっと増えて、一般人の中でも割合が高まれば何も珍しいことでなくなり受け入れられてはいけのではないか、ためらわず自分を出していくことこそ大事なことではないかと思います
K太はもうすぐ2才5ヶ月
そろそろ、きちんと判断する時期なのではと思いますが
家族(オット、親、義実家)はみな何ともないだろうといいます
私の杞憂だろうと
しかしこれからもうひとり生まれることを考えると…
う~ん、頭の中そのままに文章がまとまってないなぁ
2014.09.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | あれこれ